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広島生まれの廣島バウムクーヘン

『廣島バウムクーヘン』
¥1,620(税込)
日本で最初にバウムクーヘンは、
ここ広島(似島)でつくられました。
これに因み、ピラミッドという
平型の『廣島バウムクーヘン』が誕生しました。
「ピラミッド」という名称の
ドイツのお菓子です
天板に生地を
うすく延ばします。
生地を焼成後、
再度次の生地を作業します。
焼成を繰り返します。
表面にシロップを塗ります。
冷ましてから、
長方形にカットします。

似島臨海少年自然の家にて
鈴木くん、古川さん、満足な焼き上がりに、ニコニコ!
広島はバームクーヘンの里 
日本で初めてバウムクーヘンが焼かれた地、似島

日本でバウムクーヘンを普及させたカール・ユーハイムは、今から90年以上前、ドイツの租借地であった中国のチンタオ(青島)で、ドイツ人相手にケーキを焼いていました。第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本が、チンタオを陥落させたのが大正3年(1914年)11月でした。彼は結婚したばかりでしたが、多くの捕虜と一緒に日本へ連行され、大正6年2月には大阪の収容所から似島に移されたのです。
開設当時の似島の捕虜収容所の収容人数は、540名あまり、場所は、現在の似島臨海少年自然の家あたりで、建物・畑・テニスコート・サッカー場を含めた1万6000平方メートルほどでした。捕虜となった人々は色々な作業についており、印刷所では新聞も発行されていました。

大正7年11月ドイツの降伏により、捕虜達にはより一層の自由が与えられることになりました。翌年には、捕虜チームと広島高等師範の学生とのサッカーの試合が行われています。
そんな中、ユーハイムは捕虜収容所でバウムクーヘンを焼いていましたが、彼が最も活躍したのが大正8年3月4日から始まった広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)での捕虜製作品展覧会でした。初日の入場者は7,400人を数え、その後も押すな押すなの大盛況が続いたといいます。当時の書物によると、工芸品、絵画、サンドウィッチやコーヒーなどという、当時としては、まだまだ珍しいものが並び、多くの市民をヨーロッパに行った気分にさせたとあります。
中でも菓子は、教師の初任給が20円だった当時、初日だけで150円を売り上げ、一番の人気商品でした。当日の様子を中国新聞が紹介しており、これが日本人とバウムクーヘンが最初に出会った出来事とされています。

広島市ホームページより

日本で最初のバウムクーヘンの
レシピで生地をつくります。
竹の輪に生地を流します。
竹は両方から廻します。
炭の火でゆっくり廻しながら焼きます。
数回繰り返します。
 またきて四角  廣島バームクーヘン  巴里ミヤゲ  NYチーズケーキ